打楽器のはなし

僕の自己紹介欄には「打楽器が好き」と書いてある。僕は打楽器を愛しているんだ。(突然の告白)

これが打楽器だ。まあこれはティンパニっていう打楽器なんだけど、こいつに限らず、他にも多くのユニークな打楽器があるからこれはあくまで1つの例に過ぎない。

 

音楽が大好きなのはよく聞くよね。クラスの自己紹介タイムでは必ず1人は出てくるくらいにはよく聞くけど、打楽器が好きというのはほぼ見たことは無い。というか、一切ない。冷静に考えてみれば、、まあそうか、、そもそも吹奏楽やクラシック自体がマイナーな界隈であるのだから、それを掘り下げた存在である「打楽器」は更に狭いものであるというのはなんとなく想像はできる。でも、誰しも違う趣味を持っているとはいえ、ここまで狭い界隈だと流石に寂しい。例えるならば、クラスで流行っているゲームっていうのはあるだろ?でも、僕がハマっているゲームはそれとは違うものであって、そういう時はかなり疎外感を感じてしまう、、、まさにそれと同じ感覚だ。

こないだ僕が数人の友達に会いに行った時は全員麻雀をやっていた。麻雀やるってなんか渋いな。もちろん僕は麻雀なんて名前だけしか認識してなかった程度だったからルールなんてぜーんぜん知らなかった。ただ傍観者としてみんなのテンションにあわせ盛り上がるだけだった。まあ僕が認めた人、すなわち友達は全員優しいヤツだから全然気まずいとかはなかったけど、やっぱり相手の趣味は知ってるものであって欲しいと思う。知らないことは悪くないとはわかっていながらもこの疎外感に耐えるのはなんとも辛い!僕は疎外感という単語がとても嫌いなんだ。

 

っていう訳があるから、もしみんなが打楽器に興味を持ってもらえば僕は永遠の非疎外感を手に入れられるわけだ!そんなわけで今日は打楽器の魅力をバンバン伝えていこうじゃないか!

 

って言って実際に伝わればどれだけ楽な世界か、、あくまでこれは個人的な意見だけど、楽器の魅力を伝えるためには正直、「まずは続けてみること」だと思うんだ。「続けてみること」、これを言うと多くの人は「続けるっていう事自体がハードルが高い」と言うが、まあ気持ちは良く分かる。僕もそういう経験があったし。でも、それはどうか見逃して欲しい。僕が音楽や楽器のことを初めて好きになったのは、最初からではなくて、実際に続けてみてからであるからだ。さっきも言ったけど、こうやってブログに書いたり、口で説明したりしたって全然意味ないと思う。まあ僕の語彙力がないだけで伝わらないというのもあると思うけど、そもそも音楽っていうものは無限大であって、一人一人違う解釈を持っている。だから楽器にも一人一人違うお作法があってそれによって同じ楽器でも全然別のものに聞こえてしまうことなんて普通にある。ある1つの楽譜でもその中にある表現の引き出しは無限大で、あらゆる考えを持った人が楽譜をヒントに独自の解釈で聴かせているのは音楽の世界では当たり前のことである。逆に言えば、誰もがどこを抜き取っても同じ解釈をすることなんてありえないのだ。

楽器をやって基本を習得することで新しいことに気づける。僕はそれを学んでみて音楽が本当に素晴らしくて楽器の楽しさにようやく気づいたんだと思う。それ以来、楽器を練習するのが何倍も楽しくなった気がする。技術力が上がって曲が出来るようになったからのもそうだけど、やはり1番は音楽を奏でる時、僕の解釈を尊重するのを最優先にしているからだと思う。僕が思う「音楽と楽器の魅力」はほとんどそこにあるのではないかとも思っている程、僕はこのポリシーを大事にしている。

 

 

 

 

って語ってみたけど、、結局のところ、音楽や楽器にハマるかどうかはやってみるしかないんだよね。

、、、これだから打楽器ってマイナーなのかな

 

 

以上、今日の自分語りでした。